しつけ

お子様が2〜3才になる頃、少しずつ一人の人間として成長する上で必要な知識や常識を教えなければなりません。それが所謂「しつけ」です。親が子どもにしつけをする時、2つの事を軸として考えましょう。
1. 日々の生活でしてほしいことは、「約束事」として知らせてる。
2. 現在の子どもの行動を見て、大人になったとき「そんなことをする大人はいないだろう」という観点で見ると、「しつけをすること」が見えてくる。

1.子どもの自立・自律心を育てる上で必要なしつけ:
大人も子どもも、1日の生活において、朝起きてから寝るまでにするべきことがたくさんあります。服を着替えて、歯磨きをして、食事をして、お買い物に行って、公園で遊んで、お風呂に入って寝るまで、その都度その都度、少しずつ知らせて、子どもが自分の力で習慣としてできるように見守り、経験を繰り返し、できることを1つ1つ増やしていくのが1才半〜3才の時期です。

その頃に、手を出しすぎると、自分でするべきことだと自覚が育たないので、誰かが何とかしてくれるだろうと受け身の姿勢を作ってしまいます。言い換えると、いつまでたっても、親に依存をし、親がいないとどうしていいかわからないという不安定な状態になるのです。また、少しずつできることが増え、やればできるのに、最後までやり遂げようという気持ちが乏しい子もいます。躓く度に、泣いたり、お母様に八つ当たりをして怒ってみたりして、お母様に「HELP」のサインを出します。

そのような子は、頑張る前に諦めてしまう場合が多く、この場合も、子どもの泣きや怒りに負けてしまうのか、お母様が最後には手を出してしまうことが多いと言えます。ある程度の事ができるようになれば、励まし、見守りながら、頑張らせ、乗り越えさせて、達成感を味わう場面を意図的に作るのも大切な事です。

途中で泣き出したり、怒った時にも、「できるからやってごらん」と優しく声を掛けてもらえれば、子どもは泣きながらでも、自分で何とかしようと努力しますが、待てずに、手を貸してしまったり、「どうしてやらないの。こうすればできるでしょ。」などと叱りながらお母様が手を出してしまうと、子どもには「できない」ことばかりが心に残っていきます。

ある程度自分のことが自分でできるようになり、一日のリズムの流れが把握できるようになる頃就園を迎えるのですが、その頃には、会話をしながら、多くのことを知らせることができます。その頃になって、自分に関係のあることを自分でするのは、「約束事」だと知らせると、「約束を守る」という意識を持つことに繋がります。

食後の歯磨きを例に挙げると、食事の後歯磨きをするのは「約束事」だと知らせるのです。これは、習慣として身につけていくべき事ではあるのですが、虫歯にならない為に、どうしなくてはいけないかを親子で一緒に考えて、「食後に歯を磨く」ことに子どもが気づけたら、「よくわかったわね。じゃあ、ご飯を食べたら歯を磨くのはお約束ね。」と伝えます。もしも、歯磨きをしないで遊んでいたら、「約束が守れていない」と告げ、「約束が守れないのは、いけないことだ」と伝えます。このようにして、自分がいつ、どのように行動しなければならないか、何をしなければならないかを、話し合いを通して1つ1つ確認をし、わかっていることは、守らせるようにしていくと、少しずつ自分がすることに対して意識を強くし、お母様が声を掛けなくても、自分で考えて行動するようになります。

「約束事」としてひとまとめの言葉で伝えることによって、お母様はその時々の細かい指示を出さなくて済みますし、子どもがふと立ち止まって「今自分がしなければならないことは何だろう。」と自分で考える場面が増えます。また、「約束事を守る」という意識を持たせることは、責任感を育て、強い精神力を育てます。

そして、親子で話し合いをしてみると、案外わかっていなかった、曖昧にしていた、ということにも気づくことができます。順番があやふやだったり、どこまでを自分ですればいいのかがわかっていなかったりすることもあります。話し合いをすることで、生活のリズムや子どもに任せる部分がより明確になるでしょう。
約束事が明確になれば、後は「任せる」気持ちを親が持つと、「信頼」していることが伝わります。

2. 公共性・社会性という面から考えたしつけ:
「人に迷惑を掛けない」「お友達には優しく」とお子様が小さい内から、こんこんと言い聞かせるお母様がいらっしゃいます。「そんな事をする大人になっては大変だ」という思いから、一生懸命にお子様に働きかけています。昨今、道ばたに座ったり、電車の中で飲み食いをしたり、お化粧をしたり、大勢が集まる場所で大声で話している若者(このごろは若者だけではなく、成人した大人にも見かけますが)を見て、顔をしかめる方が多いでしょう。

但し、そうならないために、お子様が小さい時にどのような働きかけを心がけていらっしゃるでしょうか。小学校受験の問題に道徳問題があります。「電車の中で、いけない子を見つけましょう。」といった類のものですが、年長にもなれば、一応答えは正解します。ただ、理由を問うとあやふやな答えしか返ってきません。

例えば、お菓子の袋を持って、床にお菓子のクズが落ちている絵があるとします。大抵は、この子はいけない子だと答えます。「なぜ?」と聞くと、「だってお菓子をこぼしてるから」と答えるのが大方です。最近では、10人に同じ質問をしたら、9人はそのように答えるでしょう。なぜなら、親子で電車に乗った時、お母様が少しでも静かにしてほしいとアメなどのお菓子を与え てしまっているからです。だから、電車の中で何かを食べることは行儀の悪いことだと理解していません。「電車の中で、お菓子を食べているからいけない」と答えられる子は、一貫した態度で「お行儀が悪いから、電車 の中では飲み食いはしない」と育てられている子です。

また、お稽古の途中で「喉が渇いた」と訴えに来る子がいます。言いに来るのはまだマシな方で、何も言わずに持ってきた水筒からお茶を飲んでいる子もいます。「あなた一人だけの場所でない」「何かを学びに行く場所である」という事から、社会の一員であることや目上の人に対する礼儀やTPOに合わせた行動は自然に覚えていくものではありません。

その時々に「大人だったらそんなことはしない」という事について理由や状況を伝え、考えながら教えていくものです。水筒やペットボトルをお稽古に持たせること自体、子どもの気持ちや状態優先で我が子を捉えていると感じます。「飲んでいい場所なのか」「飲める状態なのか」「飲む必要があるのか」等一緒に考えれば、どのようにするのが相応しいのかを自然に覚えることができるでしょう。

また、幼稚園のお迎えに行くときには、お母様が水筒を持参し、門から出るなりお茶を飲ませているお母様もいらっしゃるようです。その場で座らせて飲ませているならまだしも、帰る道中で子どもが飲みながら歩いているのも珍しくなさそうです。昨今は、ペットボトルを持ち歩いて、喉が渇けば飲むというのが普通になってきてはいますが、門から出るなり飲まなければならないほど、お家に帰るまで我慢ができないほど喉が渇いているのでしょうか。たった何分かの我慢ができないなら、それ以上我慢する気持ちは育たないのは当たり前のことです。皆が飲んでいても、「お行儀が悪いから、お家まで我慢しましょう。」と言いのけて、子どもの要求をその都度受け入れなければ、子どもはそんなものだと思って育ちます。

「今日だけね。」と1度でも許してしまえば、徹底した態度が崩れてしまいますから、次からはグズグズ言い出します。他の子と同じようにと思う親心もわかりますが、子どもの言い分だけを受け取っていると、「だってあの子もこうしてる。」が通用するようにもなります。最近は「大人としてとるべき行動のあり方」自体がル−ズになる傾向ですが、お祖母様からお母様へと受け継がれるていくもの、お母様からお子様へと受け継がれていくものの中に、「良いしつけ」がたくさんあります。

今は畳のお部屋自体が減っていますが、畳の上では、立ったままご挨拶するのはおかしいといったこともそうでしょう。核家族化が進み、目上の人から伝えられる、目上の人への接し方を生活の中で学ぶ場がなくなってしまいました。人間の魅力には、「こんなことができる人」というだけでなく、礼儀や礼節をわきまえているということも入るなら、親の都合や子どもの都合でなく、「知らせておかなければならないこと」「守らなければならないこと」があることを小さい内から伝え、「ダメなものはダメ」だと態度をもって知らせることもとても大切なことです。子どもの状態や気持ちを汲みすぎて振り回されていると、良いしつけは難しいと言えます。