子は親の鏡

 ある詩ををご紹介致します。
子は親の鏡

 けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
 とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
 不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる
 「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
 子どもを馬鹿にすると、引っ込み思案な子になる
 親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
 叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう
 励ましてあげれば、子どもは自信を持つようになる
 広い心で接すれば、キレる子にはならない

 誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ
 愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
 認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
 見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる
 分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
 親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
 子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ
 やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
 守ってあげれば、子どもは強い子に育つ
 和気あいあいとした家庭で育てば、
 子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

 ある講演会のレジメの中に入っていた詩です。子育てをしていて悩むこと・不安になること、また 親が人間として悩んだり不安になることは、生きている以上当然あることなのですが、この詩を読むと、人としてどうある方が良いのかということが見えてきます。

子育てにおいては、「どうして、 この子は・・・?!」と、子どもを責める前に、その鏡である自分をまずは振り返って見る必要がありそうです。よく「親が変われば、子どもも変わる」と言います。逆に言うと、親が変わらなければ子どもは変わらないということです。

子どもは親に叱られる為に生まれてきたのではなく、愛されるために生まれてきます。頑張れなかったり、思いやりがなかったり、引っ込み思案だったりするのは、鏡である親から与えられたものであると言えます。「こんなはずじゃなかった」「私の育て方が間違っていたのかしら」と嘆く前に、まずは、親から変わりましょう。親は子どもの鏡なのですから。

 あるシャンプ−のコマ−シャルで、お父さんが「小さい子になんでもかんでも1人でさせていいのかな」と言うと、お母さんが「親は見守るくらいでいいんじゃない?」というのがあって、前から その夫婦のやりとりがとても気になっていました。お父さんは、過保護・過干渉の親の代表、お母さんは子どもの自由を見守る理想的な親の代表と言えましょう。

まず、お父さんのいけないところは、子どものことを「小さい子」と決めつけているところです。子どもは小さいながらも1人の人間です。小さい子と決めつけてしまうのは、その子の持つ人間としての権利を無視していることになります。小さい子と決めつけてしまうと、子どもが自分1人で頑張ってやってみたいと思っている気持ちを汲んでやることができません。

例えば、子どもが何かをしている時、途中でイヤになったり、できなくなって放り出しても、「小さい子」のすることだからといって、気にならないでしょうし、「いいよ、いいよ。後は、ママがしてあげようね」ということにさえなりかねません。子どもに簡単に依存することを教えてしまっていることになります。子どもが「やってみたい!」と言ったり、思っていることは、「なんでも、かんでも」させていいのです。させなければいけないことなのです。その時に必要なのが、見守る親の目です。前出の詩の中に

      見つめてあげれば、子どもは、頑張りやになる
      守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ

 とあります。見守る=「見つめる」+「守る」だとすれば、親が子どもの行動を見守ることによって、 頑張りやの強い子に育ちます。やりたいと言うことを、見守り、最後までその気持ちを遂げさせることは、 満足を得て、次への好奇心や探求心を生み、意欲を育てます。

そして、やりたい気持ちを保つ強さを身につけ、親の「励ます」言葉によって自信を得ます。そこで難しいのが見守る度合いなのですが、「それがよくわからない」とおっしゃるお母様も少なくありません。「見守って」いると、こどもは出来なくなると投げ出してしまうということなのですが、それは、当たり前のことです。

子どもは、大人のようにはできませんし、大人が思うようにもできません。大人が思うような形でできないと、ついついできなことを責めたりすることもあります。投げ出す時に泣いてしまう子の親は、泣いてかわいそうだから、といって、先々に手・口を出してしまう場合もあります。そうなると、見守っていることにはなりません。

 逆に手・口を出した時に依存することを教えてしまっているのです。泣けば、親がなんとかしてくれる、 という気持ちを持ちます。「泣いてかわいそう」というのは、「小さいからまだ無理だ」と決めつけてしまっていることと、何らかわりがありません。

子どもが精一杯頑張ってもできなくて、諦めかけたときを見計らって、励ますことと、子どもが出来る方法をアドバイスして、あくまでも、子どもが自分の手と気持ちで最後までやり遂げたようにもっていくことが大切です。もう1つ言うと、子ども自身ができ なくて諦めてしまうのは、やり遂げる方法がわからないことも1つの理由ですが、困ったときに、どのように人に頼ればよいのかがわからない場合もあります。

「自分1人の力では、これ以上できないから、 助けてほしい」と言えることで、次の展開へと進めるのですが、小さい頃に「できないよ〜」と泣いたり、 わめいたりする方法でしか、伝えられなかった子は、小学生になっても、中学生になっても、自分が何を困っていて、どうしてほしいのかがわからなくて、人に頼る方法を知らないまま成長することがあります。

また、困っていることを自覚出来ない場合もあります。それは、親の手出し・口出しが多く、子どもの代わりに親がしてしまってきた結果なのですが、そのような子は、困っていることに自分で気がつかないふりをして、そのまま何事も無かったかのように済ませてしまうようになります。

つまり、困っていることから逃げるのです。就園前の子どもであれば、「助けてほしいの?」といって、解決する方法を伝えてあげましょう。就園児以上の年齢であれば、具体的に「どうしてほしいのか」を伝えさせるようにしましょう。

困っていることがわかれば、「わかったわ。」と必ず言って、方法を直接教えるのではなく、ヒントを与えて考えさせるようにしていきましょう。親が困っていることを認めることで、 安心もしますし、考えさせることで、年齢が上がると共に自分なりの方法を状況に応じて見つけ、自分の力で解決しようとする気持ちをもつことができます。



  2002/8/18 ぴーすらんどタイムズ掲載