長崎幼児誘拐殺人事件に寄せて

少年犯罪が連日ニュ−スで流れる。そのたびにむなしさと、やりきれなさと、言いようのない不安
 にかられる。思い出すのは、須磨の事件。14歳の少年が起こした事件だった。そのニュ−スの第一報は、車のラジオから聞いた。聞いた場所、状況まで鮮明に覚えているくらいショックを受けた。

その時は、少年が小学生の首を切り、校門に置くなどと大それたことができるとは、夢にも思わなかった。14歳の少年の犯罪だとわかったときには、「なぜ?」「どうして?」という思いばかりが
 膨らみ、新聞や関連する記事を片っ端から読んだ。色々な意見が出てはいるものの、どれも「その 通りだ」とも思うし、どれも「少し違う」とも思った。少しでも少年の思いや少年を取り巻く状況が知りたくて、神戸大学で開かれたシンポジュウムにまで出かけた。

あれから数年、その間も大きな少年犯罪は繰り返され、とうとう12歳の中学生になったばかりの少年が、長崎で幼児を裸にした上、屋上から突き落とすという事件が起きてしまった。私事ながら、犯人だった少年と同じように、ちょうど息子が今春中学に入学したこともあり、また、子どもに係わる仕事をしている私にとって、決して人ごととは思えなかった。

この事件を聞いたとき、須磨の事件を思い出し、「少年で なければいいのに」と何となく思ったことが的中してしまった。須磨の事件が起きるまでは、10年周期で、大きな少年犯罪が起こってきたということを本で読ん だことがある。その背景には、社会が10年周期で変化していることがあるとも書いてあった。けれど、須磨の事件以後は次々と少年犯罪が起こっている。バスジャックもあった。一家を惨殺した事件もあった。最近でも、いじめがエスカレ−トして殺人に至っている。

今回の事件は、思春期の体と心のアンバランス、性的な嗜好が原因だとも言われているが、そこに至るまでのもっともっと根深く、社会全体の流れが引き起こした事件だという思いもぬぐいきれない。

少年が補導される2日前、神戸大学臨床教育学の教授の講演に出かけた。「子どものサインが見えてますか」という演題であった。中2の女子生徒2人が携帯に「誰のせいでもありません」というメッセ−ジを残して、手を取り合って飛び降り自殺をしたこと、沖縄の中2の男子がいじめの末暴行を受け、殺害され砂浜に埋められた事件、そして、その時には、12歳の反抗だとは断定はされていなかったが、ビデオに映った姿や以前に起こしていた事件から、犯人は少年ではないかと報道され始めていた長崎の幼児誘拐殺害事件のことなどから話しは始まった。

その先生のお話の中で、印象に残ったことについて書きたいと思う。
戦前から戦後にかけて、世の中は貧しかった。子どもの数も多く、電化製品などは無い時代。私が幼い頃、洗濯機はなく、母はたらいと洗濯板で1枚1枚手で洗っていた。少しして、洗濯機は家にやってきたが、脱水などという便利な機能はなく、1枚ずつ挟んでは、クルクル回すと、ペッチャンコになった衣類が出てくるという仕組みのものがついていた。その頃の冷蔵庫は、電気で冷やす のではなく、氷やさんが氷を各家庭に運んできて、大きな木の箱のような冷蔵庫にその氷を入れて全体を冷やすという構造だった。

しかし、家庭の電化は猛烈な勢いで進み、私が小学校に上がる頃には、TVもあった。そのTVも数年後にはカラ−に変わっていた。そう考えると、変な言い方だが、私の成長と共に、電化製品は普及していったようだ。では、それ以前はというと、日本自体も貧しく、子ども達が家事に参加することは当たり前で、毎日毎日文句も言わず、自分の役割を果たしていた。なぜ「文句も言わず」なのかと考えると、子どもは皆何らかの家事をこなし、自分がしないと他の家族が困ることをよくわかっていたからだ。

「皆が困る」ということは、すなわち自分が必要とされていることを暗黙の内に感じていたのである。そのような家族のありかたを「生活家族」という。さて、その後電化製品が普及し、世の中は裕福になり、子どもの数は減り、生活家族の中での子どもの必要性はなくなった。経済が高度成長していく中で、高学歴が重視され、子どもの役割は「勉強する」ということに変化してきた。親は「勉強しなさい」が口癖になり、子どもは親の期待を裏切るまいといやいやながらでも頑張る。親は子どもが勉強さえしていれば安心し、成績が悪いと心配する。子どもが認められるのは、「できた」時だけになった。そういう家族のありかたを「学習家族」というのだそうだ。

その話を聞いて、私自身も「子どもの仕事は勉強」と親から言われていたのを思い出した。ということは、私の年代以後は「学習家族」の色が徐々に濃くなってきたのだろう。現在の子ども達は「学習家族」2世代目から3世代目にさしかかっている。そして、「学習家族」という家族の形態を聞いて、まさしくそうだと思ったことがある。

今育児に おいても「できた」「できない」で、判断しているお母様方(ひょっとすると、お父様方もそうか もしれない)が非常に多い。知育に関することだけでなく、しつけ・自立の面に関してもそうだ、過程を重視せず、成果だけを求めてしまっている。HPの掲示板でもそういう内容の投稿が増えている。

「〜ができないけれど、どうしたらよいでしょう。」という類の質問だ。「〜ができない」という裏には、 「〜ができなければ、いけないのではないか」という切迫した気持ちが現れている。子どもは、2歩進めば1歩戻るような成長の仕方をする。いつもいつも、前に進めるわけではない。「この前までできていたことができなくなった」というお話もよく聞く。確かに後退はしているかもしれないが、よくよく考えれば「2−1=1」の1歩は進んでいるのだ。その1歩に喜びを感じ、一緒に喜べる親がどれだけいるだろうと思う。過程を大切にしない親は、そのわずかな1歩を見逃したり、後退したことだけに気をとられたりする。

「できる、できない」という価値観でしか見られない子どもの心は「孤独」だろう。そして、その価値観は、そのまま子どもの価値観になり、先に結果を気にしたり、できないと思ったことには手を出さなかったり、できないとひどく落ち込む。結果ばかりを気にする子は、夢が持てないとその教授は言った。そればかりか、後ろ(過去)ばかりを振り返る。その方が気持ちが楽なのだ。

夢が持てない子は、自分の気持ちをその夢に向けるパワ−もない。そのパワ−を意欲というのだと思う。幼児が「〜がしたい!」と思い、成し遂げる為に頑張る力も、夢をかなえようとするパワ−と同じだ。少しの成長を認め、一緒に喜び、「できる、できない」に囚われずに子どもを受け入れられる親の子であれば、必ず意欲を持っている。気持ちも安定しているから、他者に対しても思いを巡らすことができる。子どもらしく感情を素直に表すこともできる。だから、上手に親にも甘え、無条件の親の愛情を確認し、 癒されて、また1歩進もうとする。

教授が最後に言った。「甘え上手は自立上手」。思春期を迎える頃、それまで上手に甘えて受け入れてもらってきた子は、自分の力で心と体のバランスをとり、夢を持って、大人へと向かって歩いていくのである。

   h15/7/16ぴーすらんどたいむず掲載